1977年 | 釧路で4人家族の次男として生まれる。 小学校、中学校を通し、釧路ではアイスホッケーチームに所属する。 小学校からキャプテンとしてチームを引っ張る存在として、後続のチームに大きな影響を与える。 HTB杯全国大会にも出場しメディアで取り上げられるほどの活躍ぶりを見せる。 |
1990年 | スポーツ少年だったが、洋服に憧れと興味を持ち始める。 その洋服への興味は服を探しに釧路から札幌や東京へ行くほどになり、 次第に洋服だけにとどまらず服にマッチする髪型を求めるようになっていく。 当時、自分をコーディネートしてくれていた憧れの美容師との出会いが、その後美容師を目指す転機となる。 高校生ながら、美容室(床屋)でアルバイトを始める。 シャンプー、他雑用も多かったが、美(表面的・内面的)、センス、お洒落などの勉強を同時に出来る。 いわゆる下積み時代が始まる。 |
1991年 | 実践での経験を積みながらも、基本の重要性を感じ理容専門学校(1年制)にて学ぶ。 その後理容に留まらず、自分の幅を広げる為に通信制の美容学校にてトータル的な美について学ぶ。 |
1999~2002年 | 札幌大手美容室で多くのお客様、先輩と出会い接客や技術を磨き、当時の会社ランキング1位を手にする。 この頃から、綺麗にするということに対しての考え方が違うと違和感を抱き始める。 |
2003年 | カット&セットの技術を買われ、某化粧品のショーの髪型(作品)や、某百貨店、某航空会社など、CMポスターなどなど数々のヘアーを手がける。 同時に、ショーやヘアーを担当する。 目の前の美を追求するのもやりがいを感じたが、モデルを美しくスタイリングするだけではなく、もっと髪に困っている方へのフォローをしたい、長い目でお客様の髪に関わっていきたいと考えるようになる。 「綺麗にする」という言葉の裏にある、本当の意味での「綺麗」になっていない。 そのことに疑問を感じ始めるが、「綺麗」を研究するのに、何処かに所属していれば薬剤やコスト、いろいろな制限があるため、時間をかけて勉強し取り組むことができないと想い、自分が納得する製品、薬剤、綺麗になれるものを活用する場を開拓しようと考える。 |
2004年 | 美容室JIN hairを立ち上げる。 省いてはいけない技術と、1人1人違う痛んだ髪を修復する方法。 独自のカット・トリートメントなどの研究をする。ダメージヘアーの修復(トリートメント)技術で好評を頂き、口コミでお客様が訪れるようになる。 |
2009年 | 開店以来、ダメージヘアの修復だけで5000人を突破する。 開業してから5年目でこれだけのお客様に喜んでいただけることは驚異的であるが、それだけ髪の悩みが多いということを痛感する。 「信じられない」「すごい!」「嬉しい!」 その感動の声が届くことが何よりの喜びになっている。 カラーやパーマの多様化とストレス社会が進む中、抜け毛や髪のダメージで悩む女性が急増している。 その女性の最後の駆け込み寺として、叫びの声を受け止める修復師として日々研究を進めている。 |
2011年 | まだまだ自分に満足できず、技術・サービスの勉強へ日本最大都市東京へ行くことを決心。 東京・札幌で髪を切るかたわら、高級中華店で働き、「料理はウェイターとシェフの歯車が合わないと、最高の料理・空間がお客さまも提供できないと気づく。」 そのことに気づいた時から、お客様に指名される。 「こんなサービス初めてです。」「握手してください!」「一緒に写ってください。」「お名前は教えてください。」などなど。 飲食店で働きながらも、原点(女性を綺麗にする・サービス)を忘れず、東京・札幌でも髪を切りつづける。 |
2013年5月~ | 釧路でJIN hair impressedを立ち上げる。 現在でも、大手の広告などのヘアーを依頼される。 |